海兵隊駐留反対学習総決起集会での講演要旨 |
講師 日本共産党政策委員会外交部長 松竹伸幸氏 |
レジュメ 1、移転への二つの要因―これまでにない現実性をもつ根拠がある @再編成の重要目的が同盟国軍隊との一体化にある A一体化としての日米共同作戦体制が進行している Bそのなかで矢臼別はどんな意味をもっているか 2、改めて海兵隊論を語る―なぜ“殴り込み部隊”とまでいわれているのか @緊急展開し、前進基地の奪取、上陸作戦を行う Aその任務にふさわしい装備をもち訓練している Bアジアにおける作戦でも不可欠の役割をはたす 3、世界的規模での闘争として―移転先や日本のとどまる問題ではない @違法な侵略を包囲する歴史的な闘争の到達にたって A憲法改悪がめざす集団的自衛権阻止の闘争として B日本と世界の国民が「同盟」の意味を実体験している 松竹伸幸氏の講演の要旨 みなさん、こんにちは。いま紹介されましたが、私は日本共産党の政策委員会で外交問題を担当しております。10年前からこの仕事をはじめました。外交問題ですので、基地問題についても主には米軍基地の問題を追っかけてきましたから、沖縄とか佐世保とかは何回も足を運んできました。北海道では苫小牧に行きましたが、矢臼別は初めてであります。私がこの仕事を始めた10年前は、米軍の問題を担当している私が、この矢臼別に来るということは、あまり考えられなかった。私が今回、ここに来ざるを得ないことが、この10年間の事態の進展ということを大変よく物語っていると思います。今回、アメリカ海兵隊の矢臼別への常駐という新しい問題が提起されているなかで、それをどのように見るのか、新しい局面のなかでどのようなたたかいの展望をもって続けていくことができるのか。今日は私が知りうる範囲でお話をしたいと思っています。 (第1章) レジュメと資料をあらかじめお渡ししております。沖縄の海兵隊が実弾演習をはじめて、今回、沖縄の砲兵隊が矢臼別に移転をする報道がされて、大変多くの方がビックリされたかと思います。米軍の再編成、去年の11月25日に、アメリカのブッシュ大統領が米軍の大再編成を行うという演説をして、公に明らかになったところです。資料の1ページ目にブッシュの演説のごく一部を引用しています。「おあつらい向きの能力・戦力が最適の地点に配置されるように米軍の再編計画を考えている」というのがブッシュ演説の中心点でありました。この後で、資料の2番目になりますが、ブッシュ演説の背景はどこにあるのかということを、アメリカの国防総省、国務省の方が議会に説明をしました。この説明と同じことを、今年の6月23日に、アメリカの国防次官が、米軍の大規模な再編をどういう観点でおこなうのかという説明をしています。 米軍の再編の目的は、五つあるのだとあげています。 一つは、アメリカの同盟国の役割をどうやって拡大していくのかという観点で再編計画を考えています。 二つ目は、柔軟性を拡大強化していく。柔軟性とは、いつ・どこで・何が起きても対処できる軍隊を世界の各地に、どの地域にどのくらいの規模の部隊を置くのかを、全部洗いなおして考えようということです。 三つ目に言っていることは、地球規模で部隊を管理すること。別の言葉でいうと、アメリカの軍隊は、海兵隊にしても、自分の軍隊はどこの地域に責任を負っているのか決まっていますが、そういう時代は終わりました。いままでのようにある地域に責任を負ってそこにとどまるのではなく、ある地域から別の地域まで、投入されて仕事をしなければならない。だから地球規模で部隊を管理できるようにするということ。 四つ目に、米軍の遠征能力(外へ出て行く能力)、それを拡大して、迅速に、紛争地点に展開していくうえで何が必要なのかということを考えなければならない。 最後の五つ目が、兵員数だけを考えない。在日米軍なら沖縄に何万と配置していくという今のあり方ではなく、能力を、いろいろなことが起きたときに、それに対処できるだけの能力を維持する。そのためには、どういう部隊や兵員が必要なのかという角度から考えていかなければならない。 この五つの角度から、いろいろ検討を行って、昨年来、米軍がさまざまな案をまとめて、日本の政府との間でも協議が始まっている。最近では連日、どこからどこへ軍隊を、司令部を移動させるという報道がなされていますが、そういう角度で議論をしているわけです。報道されているいろいろな案をみますと、「あー、なるほど」と、この五つの要素が考えられているのだと思わせる再編計画になっていると思います。 今度の再編計画の中心の一つとして、アメリカのワシントンに陸軍の第1軍団の司令部があります。合計4万人の部隊をもっており、このアジアの全域でいろいろな紛争があったとき、それに緊急に投入するという仕事が第1軍団の司令部の仕事であります。その第1軍団の司令部、ワシントンにあるものを日本の神奈川の座間基地に移転させる。あるいは沖縄にある第3海兵師団の司令部も座間に統合すると報道されています。これは、さきほどいいましたように柔軟に仕事をする上で、沖縄とワシントンの司令部それぞれが、別の地域に責任をもっているというやり方ではダメである。司令部をひとつの神奈川に統合して、そこで、アジア全体をみわたして、部隊を合理的に、柔軟に、いろいろな地域に投入していけるようにという考え方が現れています。それと同じことが、アメリカの空軍でも、横田に空軍の司令部がありますが、グァムにも広大なアジアを管轄する空軍の司令部があります。この二つを統合し、ひとつの司令部でアジア、太平洋の全域に空軍を投入していくという仕事を統一的に柔軟にやっていこうとする角度から計画をたてているわけです。 この計画をすっぱ抜いたのは、リチャード・ハロランで、昔、ニューヨークタイムズの東京支局長をやっておられた方です。彼は、アメリカの太平洋軍に深く食い込んで情報を入手して、大変正確な記事を書いてきました。この方が6月に、「この第1軍団がイラクに派遣されているけれど、その後、アジアのアメリカ陸軍の指揮をとるため、日本に配置される予定である。なぜかというと、アメリカの政府高官が、『日本はアフガニスタンでもイラクでも、われわれが頼んだことは全部実行してくれた。そういう日本だから、憲法上の束縛があっても日本におくのだ』という考え方で進めている」と報道しています。 矢臼別にもかかわることですが、アメリカが本土の基地の再編成をすすめている一番大きな要因が、最初にいいました同盟国の役割の拡大です。この角度から物事をみて部隊の配置・再編を考えています。 自衛隊に役割をたくさんやってくれというだけではなく、アメリカの軍隊と日本の陸自、海自、空自と一体性を高めていく、それが作戦を進めるうえで大事なんだという角度でこの問題にのぞんでいるということです。沖縄の海兵隊を常駐させる目的で本土に移転させることも、それは、キャンプ富士と矢臼別演習場、両方にするか、片方にするか、いろいろな情報が出ております。本土に、自衛隊演習場に移転させるという目的も、結局、そこにあるのだということが大事です。 資料のいくつかの発言から、5番目をみてください。アメリカの太平洋軍司令官グレグソンが「プロシーディング」、これは海軍の月刊誌ですが、2月号に何を考えているかということが書いてあります。「北東アジアは、はるか将来にわたって米国の国益にとり死活的な重要性を持ち続け、この基地の利用権を維持しなければならない」。再編の目的ですが、「同盟諸国の戦闘能力の変化を反映するように、米軍基地の性格を変えるべきであり、共同基地の設置を追求すべきだ。いっしょに訓練し、いっしょに配置され、いっしょに暮らすようになるだろう。このやり方の利点は、日本と米軍の部隊がすでに同じ基地をいっしょに使っているキャンプ富士や岩国海兵航空基地でも明らかだ」、このやり方をもっと拡大していかなければならないとグレグソンが言っています。こういう大きな目的があるわけです。 冒頭で、6月23日に国防次官が五つの目的を述べたと言いましたが、そのときに同盟国の役割の拡大、何を同盟国の軍隊に期待しているかというと、その目的は、米軍と同盟国の軍隊が広域、広い地域で共同行動をできるようにしなければならないということです。その共同作戦を、熟達させるために、大規模な、そして精巧な演習を日常不断にやらなければならない。訓練とか、演習とか、作戦とか、それを通じて、アメリカと同盟国の相互の防衛体制をつよめていくと述べています。 いろんな報道がありますけれど、アメリカにとってみますと自衛隊の基地がある、あるいは演習場がある、そういうところに米軍基地を、特定の7月から8月の20日間もってくるということではなく、一年間通じて常駐して、いっしょに訓練して、いっしょに行動して、いっしょに作戦を考える、そういう関係を作り上げていくことが、今のアメリカの目的を達成する上で大変必要と考えているわけです。 そこに、今回、私たちが、海兵隊の矢臼別移転という問題を大変重大のものとして、現実味のあるものとしてとらえなければならない理由があります。 同時にレジュメの二つ目に入りますが、アメリカがそのように考えても、同盟国の軍隊が、そのレベルになければ、アメリカといっしょに作戦をするといっても、そんな能力も経験もなければ計画はうまくいきません。しかし、現在は日本の自衛隊の側が、米軍との共同の作戦をすすめるという大変高いものを歴史的に築いてきたということがあります。 資料の2枚目に日米共同作戦の動きということで、年表と在日米軍基地の面積、下の表からみていくと分かりますが、在日米軍が安保条約に基づいて活動するようになった初期のころは、自衛隊の基地の米軍との共同使用はありませんでした。ところが、1955年に初めて、米軍が自衛隊と共同で基地を使用することがはじまりました。そして、70年代の終わりから80年代の前半にかけて急拡大していく。85年には米軍専用基地を上回るようになりました。 米軍と自衛隊の共同の訓練、共同の作戦、なぜこのようになってきたかというと、1960年に安保条約第5条に日米共同作戦体制の米軍と自衛隊が共同で作戦を行うという条項が盛り込まれました。しかし、60年の安保闘争があり、その後の闘いがあり、なかなかそういう方向に進んでこなかった。しかし、69年に佐藤・ニクソン共同生命があり、これは沖縄の返還を約束した共同声明でありますが、沖縄の返還はするけれどその代わりに日本は、いろいろなものを飲まされたのです。朝鮮半島の事態とか、台湾海峡の事態とか、それまでは、米軍がそこにでて行ったら、日本の基地も攻撃され、危なくなるから、巻き込まれるから困るというのが日本政府の態度でした。しかし、佐藤・ニクソン共同声明は、韓国でいろいろな事態が起きる、台湾海峡で事態が起きる、それは日本の平和のために大事なことだから、協力しましょうと、約束をした。しかし、約束はしたけれど、沖縄返還闘争など盛り上がって、結局実現できなかった。 78年になり、日米ガイドライン、いわゆる旧ガイドラインですが、極東の地域で日本がなにができるか研究をやろうと約束しました。その約束にそって、80年代になって、日米の共同演習が活発化していきました。90年代はみなさん方が体験されていますが、安保再定義、新ガイドラインの作業がはじまり、周辺事態法ができて、有事法制ができて、その過程で、日米物品役務協定、いろいろな機材とか、燃料とか、武器の部品とか、米軍と自衛隊が同じものを使って、お互いに弾薬も提供できる。戦闘機が壊れたらすぐ修理できるようにする。これを協定でできるようにしていった。 アメリカが、同盟国の力を利用して、共同の作戦をやろうと思ったときに、実はもう、日本の自衛隊の側は、対応できるだけの準備を整えてきています。だから、その方向を、米軍再編を契機に、一気にすすめていこうということが、いまのこの問題の背景にあり、この矢臼別への移転が浮上してきているわけです。 矢臼別への移転をどうみるか、いろいろな議論があります。資料の4ページをみてください。北東アジアの地図を載せています。矢臼別移転ということで、政府部内にも、マスコミの中にも、矢臼別というのはちょっとないのではないかという議論があった。それは何が理由になっているかというと、焦点になっている朝鮮半島の危機とか考えると、沖縄の方が良い。あるいは富士山の近くとか、距離的なことがあっていわれてきた。ところが、地図をみてもらうとわかりますが、沖縄と矢臼別から朝鮮半島に線を引くと、ピヨンヤンまでの線、沖縄の方が若干短いだけです。もう一つの線はウオンサン(元山)というところですが、ほぼ同じ距離となる。ウオンサンは朝鮮に軍事介入をおこなう時、アメリカが上陸作戦を行うならここだという場所です。 先ほど紹介したハロラン、ニューヨークタイムズの元東京支局長が、北海道移転により訓練場も広くなり、韓国により近くなると分析をしている。(資料の7番目) 移転のもっと本質的なも問題ですけど、資料の3ページに、赤旗の8年前の記事ですが、アメリカの太平洋軍の準機関紙スターズアンドストライプスで、94年の朝鮮半島の危機のときにこの記事を載せました。この記事は、新ガイドライン・有事法制の本質を大変明らかにしていることで赤旗に全訳をして掲載しました。見出しになっていますが、朝鮮半島有事の時、アメリカが日本のどの空港を使うのか、札幌、新潟、成田の空港を封鎖して民間機が離着陸できないようにし、アメリカの本土からたくさんの軍用物資を持ってくる。そうした計画を書いた記事です。大事なのは、この一番下の段、右側、なぜこの三つの空港なのか、理由を書いています。札幌−防衛が可能だから、新潟−そこが日本海に面しているから、成田−アメリカの民間パイロットが熟知しているからと書いています。北海道を使えば、札幌を使えば、そこには自衛隊がたくさんいるから、米軍が北海道の基地を使用するとき、自衛隊が守ってくれる。だから札幌、北海道を重視する。これが、このときの報道です。このときは10年前ですから、自衛隊に守ってもらうという角度から報道している。 この10年間、どんどん事態は進んでいます。10年前なら、有事のときに米軍が離着陸する、それを千歳などの自衛隊が守るということしか考えられなかったが、さらに進んで自衛隊がいっしょになって、作戦をする。海兵隊が上陸作戦を行うとき、日本の陸上自衛隊、海上自衛隊がどう協力していくのか、考えられるようになっています。大規模な自衛隊が駐留している北海道を重視していくということが、当然のことになってきている。そこに矢臼別への移転が浮上している背景があるということを強調しておきたいと思います。 (第2章) みなさん方、何年もの間、海兵隊の実弾演習に反対してたたかってこられています。ですから、よく承知しておられるでしょうが、海兵隊が常駐する問題が浮上してきているもとで、改めて海兵隊の任務・役割をとらえることが必要です。アメリカの軍隊はイラク戦争ではっきりしていますが、全体が侵略的な性格をもって先制攻撃をやっていきます。そのなかで、なぜ海兵隊がなぐりこみ部隊、ストライキング・フォースとまで呼ばれているのでしょうか。 アメリカも法律に基づいて軍隊があり、日本と同じように自衛隊法に該当する法律があります。アメリカの法律の中でも、陸軍とか、空軍とかの法律を見ますと、領土の防衛とか、本土の防衛とかが仕事になっています。しかし、海兵隊にかかわる法律には、アメリカの本土防衛という任務は入っていません。ごく簡単にいいますと、任務と規定されているものは、前進、前方の海上基地を奪取すること、奪い取った基地を防衛すること、それと海上作戦の遂行に不可欠な上陸作戦を行うことが任務になっています。それ以外の任務をやることがあっても、これが海兵隊の第一義的な任務としています。 上陸作戦といいましたけれど、朝鮮半島のウォンサンという場所を地図で言いましたけれど、アメリカがイラクでやったように、政権を転覆して、アメリカの気に入る政権をつくろうと思うと、空軍とか、単に空爆していただけではダメなのです。地上部隊を送り込んで、首都を包囲して政権を転覆する、そこまでやらなければならない。その作戦をやろうとするとどこからか、地上部隊を相手の国に上陸させなくてはならないわけです。それが、アメリカの上陸作戦です。ある上陸にもっとも適している場所を決めたら、相手の軍隊も戦力を集中してくる訳ですから、そこに、空軍で戦闘しながら、上陸地点を確保していく。 その上陸地点を確保しようと思ったら、何が必要かといえば、相手のレーダーを破壊しなければならない。そのために必要なのが低空飛行です。低空飛行で相手のレーダーや航空施設を破壊していくことになります。その作戦をやりながら、部隊を上陸させるのです。ヘリコプターで部隊や装備を運びますし、エルキャックという船で155ミリ榴弾砲なども運び、相手国の領土に上陸していく。こうして前進基地をつくっていくことが海兵隊の大事な仕事です。 なぜ155ミリ榴弾砲を海兵隊が演習でやるのかというと、その能力に比べて砲身がコンパクトで移動するのに適切な武器だから、重視しているわけです。能力からいえばもっとすごいものもあるが、運搬に不便だから、155ミリ榴弾砲を重視している。相手国に殴り込む、上陸作戦をするという海兵隊の任務に最適だということです。 最後のページをみていただきたいのですが、10年前に朝鮮半島の核危機がありました。そのときに、アメリカが空母機動部隊を配置し核兵器の使用も含むいろいろな選択肢を検討した時期があります。そのとき、普通は明らかにならないのですが、アメリカがどんな作戦計画をもっているのか明らかになっています。韓国の国防大臣が韓国の人たちの不安を鎮めようと、こんな立派な計画をもっているからと議会で証言しまして中身が明らかになったわけです。右側にそのとき明らかになった作戦、5段階の作戦をのせている。下の6行目の第4段階、ピヨンヤンを占領する、そこで政権を転覆するまで占領する計画までつくっている。そういう作戦計画を、地図でみると右下の方に、同盟国の対応として、三沢とか、嘉手納とか、部隊が応援にかけつけるシナリオをもっています。 そうしたシナリオのもと、10年間が過ぎ、いまや、アメリカの在日米軍の部隊だけでなく、それに、日本の自衛隊も参加させることが可能になってきています。法律的にいえば、有事法制で朝鮮半島になにかあれば、日本の有事が予測され、共同でできるように法律的な枠組みをつくったわけです。今度はそのシナリオに基づいて、日常不断の訓練を行っていく。これが、今の動きです。 (第3章) これまで日本の各地で、基地の周辺で、いろいろな人が、たたかってきた歴史というものがあります。今の局面というのは、戦後の歴史のなかでは、大変新しい局面に移っていると思います。なぜかというと、アメリカの先制攻撃戦略の危険性が世界的に明らかになって、そういう戦争をさせてはならないというたたかいが大きなものになっているからです。 私たちは、ふつう、ここ10年、20年とかの範囲でしか考えられないのですが、しかし、戦後の歴史を見ると、アメリカの戦争というものがこれほど追いつめられ、批判されてきた時期はありません。 アメリカが戦後直後に大規模な政権転覆の戦争をやった事例としてあげられるのが、1954年、グァテマラにたいしてです。アメリカは中南米を裏庭として、グァテマラにもアメリカの多国籍企業が国土の中の大事な土地を持っていて、グァテマラの政府が自由に使えない。グァテマラの政府が、ユナイテッドフルーツの企業が所有している土地を返してほしいとアメリカに申しでたが、アメリカに楯つくような政府は許せないとまわりの国々に基地を築いて、侵攻作戦を始めたわけです。グァテマラの政府は、あまりにもひどいと国連の安保理に、こんなことがやられていいのかと訴えました。しかし、安保理で、アメリカは「国連の問題ではない、アメリカ大陸の内部問題だから口を出すな」と押し切って、結局、国連は、グァテマラの政府が転覆されるのを黙ってみすごすことになりました。まったく議論もできない。アメリカ言いなりの政府が押し付けられたものですから、国民の願いからかけ離れたものですから、ゲリラ活動が長年続いていました。29年間それを抑えるためにグァテマラは軍事独裁政権がつづいて、正確な統計がありませんが、30万人が拉致され死亡したといわれています。政権転覆の戦争でひどいことになってしまった。それだけのことがあっても、国連安保理では議論にもならない状況が続きました。 60年代から70年代はじめにかけて、ベトナム戦争がありました。ベトナム戦争のときも、国民のレベルでは、ベトナム戦争反対のたたかいが、日本でもアジアでもアメリカでも、ベトナム戦争反対という世論が6割7割8割となっていった。しかし、このときも、第2次世界大戦後、最大の戦争であったにもかかわらず、ベトナムの人たち100万人以上が亡くなったといわれる戦争が十数年続いたけれども、国連の安保理や国連の総会で議論になったかというと、まったくなっていません。一番ひどかった65年から66年にかけて開かれた国連総会で、日本の外務省が報告書を出していますが、その中で「どこかの国がベトナム戦争のことを取り上げるとおもっていたが、どの国も取り上げなかった。なぜか、こんな難しい問題は、国連ではとっても解決する能力がないと、どの国も考えていたから発言しなかったのだろう」と書いてある。あれだけの大規模な戦争であったけれど、国連はそういう状況でした。 大きな転機が訪れたのが、80年代です。 東南アジアでは、ベトナム戦争の最中に東南アジア条約機構という軍事同盟がありました。アメリカ、フランス、イギリス、タイやフィリピンなどが参加し、タイ、フィリピンは軍隊をアメリカにいわれてベトナムに送っていました。米軍といっしょにベトナムの人たちに銃口をむけて戦争をしていました。しかし、戦争反対の世論が6割7割8割反対になった。国民の反対世論が広がる中で、72年に東南アジアの首脳が集まって、今は戦争をしているけれど、戦争が終わったあと、東南アジアを平和な場所にしよう、今はアメリカと軍事同盟を結んでいるが、戦争が終わったら中立な場所にしよう、核兵器も置かないようにしよう、と宣言しました。そして75年にベトナム戦争が終了したとき、この軍事同盟は解体するという決定をしました。77年に実際解体されます。そういう国々が軍事同盟から解放されて非同盟運動に参加していくという過程が進行します。 アメリカはあれだけ大規模な戦争を行い、敗北することによって軍事同盟を失ってしまいました。軍事同盟に参加していた国々は、非同盟運動に参加していくという事態が70年代から進行しまして、国連のなかでも、非同盟運動の力が強くなりました。 80年代になって、79年12月にソ連がアフガニスタン介入したあとですが、その直後に国連総会で、「ソ連の行動は、国連憲章に違反する」という総会の決議を上げることになった。ソ連だけではなく、83年に、今度はアメリカがグレナダというカリブ海の島国の政権転覆、戦争をしたときに、そのときも国連総会に集まって、アメリカの行動も国連憲章違反であるという決議を採択しました。86年にアメリカがリビアを爆撃したとき、89年にパナマを侵略したときにも、同じように国連総会が非同盟運動の提出した決議案を100票以上の賛成で可決するという大きな転換がつくられていきました。 今度のイラク戦争は、また新しい到達点を築き上げたといえます。 何が新しいかといいますと、一つは、いま80年代の話をしましたけれど、80年代に提案したのは非同盟諸国でした。自分たちがアメリカやソ連の大国のいろんな戦争で苦しんできた。それまでは自分の意見を言いたいけれど、言えば経済的な圧力をあるか。しかし、非同盟運動が増えて、団結すればがんばれる、ということでがんばったのが80年代です。 今度のイラク戦争は、ご存知のように、非同盟運動と西側のフランスやドイツなどの国と一緒になって、アメリカの戦争反対で、協力関係を築き上げるということに到達しました。 もう一つは、80年代に舞台となったのは国連総会です。総会をやれば、非同盟諸国がアメリカより数が多い。しかし、国連憲章上は、国連総会は戦争や平和の問題を決める権限を持っていません。決議を上げても、強制力はなかった。しかし、今度の舞台になったのは、国連安全保障理事会、世界の平和の問題で、権限をもっている国連安保理で、フランスや中国やロシアが、アメリカに対して、おかしいという発言をした。それを、国連安保理だけにまかせておくのは許せないと非同盟運動の議長国が、国連安保理に申し入れして、国連安保理の公開討議を開こうと提案し、受け入れさせました。 国連安保理の会議だけれど、安保理に参加している15カ国だけではなく、100カ国以上は参加して、国連安保理の討議が開かれ、そこで9割以上の国々がアメリカを名指しして「こういう戦争をしてはいけない」と発言するようになりました。 アメリカは、グァテマラのときも政府を転覆する戦争をやった、ベトナム、あれだけ大規模な戦争をやった、いろいろな戦争をやってきていますが、歴史的にみて、これほど、世界の国民と世界のいろんな政府がやめさせようと団結している時期は、これまでなかったことです。 米軍再編の目的をのべましたが、ラムズフェルド国防長官が去年の11月に、国防報告を出したが、その中でも、再編の究極的な目的というのは、米軍が前進抑止することだといっています。とりわけて、その戦略のなかで、レジームチェンジで、イラク戦争でも使われたのですが、体制をチェンジする。変えると。政権を転覆するという能力を、機動的で柔軟な、再編によって、それを大規模に軍隊にあたえる。これが再編の仕事だと語っています。 世界中から非難を受けても、アメリカはそういう方法を進めようとしている。しかし、そういうことは許されないという世界の世論があります。だからそういう目的のために、海兵隊を矢臼別に持ってきて、日本の自衛隊との一体化をやろうとしても、いまアメリカの戦争に反対するたたかいは、基地移転先周辺の人々とのたたかいだけではないのです。イラク戦争のようなものをもう一度、許してしまうのか、そういう世界規模での、たたかいになっているということです。 そして、歴史的にみて、それをやめさせることができる地点に私たちがたっていることを、いま強調しておきたい。 同時に日本の国内では、憲法の改悪問題と結びついて進んできています。アメリカのこんな戦争に協力するためには、憲法に手をつけることが必要になっています。 こんどの憲法改悪の問題で、一つの重要な焦点になっているのが、集団的自衛権を行使できる国になるかということです。今度の選挙でも、自民党、小泉さんはさかんにいいました。この集団的自衛権とうことはあまり聞かれない言葉です。難しい漢字もならんでいるので少し億劫だという人もいます。小泉さんが総理大臣になった3年前、5月ですけれど、最初の記者会見で、憲法に手をつけて、集団的自衛権の問題、研究すると述べました。私は、そういう問題の担当者ですから、相手は憲法の問題を焦点にして、集団的自衛権を堂々とやってくるなら、こちらも相当勉強しなければならないと思い、翌々日から一週間、国会図書館の国際機関資料室に国連の資料が保存してあり、そこで、集団的自衛権を戦後、どれだけの国が行使したことがあるのか、どれだけ実例があるのかを調査しました。なぜ調べたかというと、小泉さんや安部幹事長は「集団的自衛権を行使できるのは普通の国なんだ、日本だけが憲法9条があって、自分の国をまもる自衛権は大丈夫だけど、集団的自衛権はだめだという、大変特殊な解釈をしている。これはあまりにもおかしい。普通の国になろう」と、これが改憲論者の共通のスローガンです。 私は、本当に集団的自衛権というものを普通の国が行使してきたのかの実例を調べようと思ったわけです。全部の国連文書はあまりにも膨大で目を通したわけではありませんが、少なくともこれしかないだろうという実例は、戦後50年間で国連加盟国191ヶ国中、集団的自衛権だといって行使した戦争は、3年前で、3ヵ国しかありませんでした。アメリカとイギリスと旧ソ連、この3ヵ国が合計で8回、集団的自衛権だといって戦争をしました。しかし、8回とも、全部、違法な侵略戦争ばかりでした。 ベトナム戦争で世界中から批判がまきおこったとき、アメリカ国務省はパンフレットをつくり、「これは集団的自衛権のたたかいだ」と弁明ました。そして、83年のグレナダ、80年代のニカラグアの軍事行動などの実例が、アメリカが集団的自衛権だといって戦争をおこしたものです。ソ連は54年にハンガリーで侵略して政権転覆をし、68年はチェコに侵略して、79年にアフガニスタンに軍事介入してお気に入りの政権を押し付けた。国連総会で批判されるが、ソ連は「集団的自衛権で正当なことをした」と説明しました。いずれも似たような事例です。 結局、集団的自衛権を行使できる国になるということは、普通の国になることではなくて、世界のなかでも、とりわけて違法な国の仲間入りをするということにほかなりません。 私が調査した直後、アメリカがアフガニスタンにテロの報復戦争をやったときに、NATOが集団的自衛権を行使して、アメリカを助けることで戦争に参加し、いまに至っています。これも、報報復戦争をやってNATOが助けたことが、いまに至るテロの泥沼化を生み出していることをみれば、集団的自衛権というものの本質をしめしています。 なぜこの話しをしたかというと、憲法改悪反対の大闘争が広がっていくなかで、基本的な事実さえ、あまり知られていない、国民に知られていないというだけでなく、日本の政府だって、国会議員だってあまり知らないからです。3年前、国会の予算委員会でこの問題を共産党の国会議員が追及すると、そのときに外務省、田中真紀子さん、外務大臣でしたが、「アメリカの集団的自衛権にはどんな事例があるのか」と聞くと、「ベトナム戦争がある」と答えました。「では、それ以外はあるのか」には、「承知していない」とおっしゃった。「ソ連の場合はどうか」「チェコとかアフガニスタンとかある」「それ以外はあるのか」「承知していない」「それ以外に、190何ヶ国にどんな実例があるのか」「承知していない」。これが国会でのやりとりです。承知しようがないんです。実例がないんですから。 私がビックリしたのは、この予算委員会に参加していた自民党の議員、そして民主党の議員、それぞれビックリして、ざわざわとなって、「えー、それしかないのか」となって騒ぎました。自分たちが集団的自衛権を行使するのが普通の国なんだと憲法調査会で議論しておきながら、そういう人たちが基本的な事実さえ知らないで無責任に議論をしているわけです。だから、「集団的自衛権はおかしい」という議論は、その後、自民党や民主党のなかでも、広がらざるをえなかった。今度、参議院選挙のなかで、小泉さんが、集団的自衛権、いろいろあるけれども、フルサイズで、世界中の規模で発動するのは難しいけれど、日本の安全に関わるものであったなら認めてもいいのではないか、と後退した発言をしている。集団的自衛権は認めてしまうと、大変なことになるという認識があるのですね。民主党も、改憲の中間報告を出しましたけれど、国連軍、国連が決議したときのことについては憲法改悪時だけれども、集団的自衛権については、民主党のなかで結論がでなかったと、これがいまの到達点です。 やはり、国会のなかで事実を暴露して、あまりにもひどいではないか、こんな事のために憲法をかえるのかと主張し、動かしてきたものがあります。憲法をかえて、集団的自衛権で違法な戦争を、先制攻撃に参加していくのか。集団的自衛権を行使する国になるということは、無法な、特殊な、一部の国の仲間入りすることだという世論をつくっていくこと、憲法を守ろうという世論をつくっていくたたかいと、一体となってすすんでいくということに、いまの私たちのたたかいの大変大きな特徴があります。 最後に強調したいことが、レジメにもありますが、戦後半世紀以上、60年近く、アメリカの軍隊が駐留してきました。軍事同盟が、安保条約が、半世紀以上続いてきました。しかし、今の時期の特徴がある。それは、「同盟」ということの意味を、わたしたち日本国民が日々、実体験をしているということです。 アジアの国々は、ベトナム戦争をアメリカがやったときに、タイやフィリピン、韓国、それぞれ軍隊をだしてベトナム戦争を戦いました。しかし、自分たちの軍隊がベトナムの人たちに銃口をむけて戦争をしているという実体験をして、軍事同盟を拒否する方向にすすんでいったわけです。それでは日本はどうか。日本は憲法9条があったから、日本の基地は使われたけど、日本の自衛隊を海外に出すということは問題にもなりませんでした。しかしいま、戦後はじめて、自衛隊がイラクの地に行って、いつイラクの人々に銃口をむけることになるのではないか、自衛隊員が殺されるのではないか、立場の違いを別にして、イラク戦争に賛成する人も、反対する人も、日々心配しながら、暮らしています。戦後初めてのことです。小泉さんが、イラクになぜ軍隊を派遣するのか、なぜイラク戦争を支持するのか、記者会見で、「日米同盟があるから」といいました。いろいろ大義を言うが、結局なくて、「いざというとき守ってもらう必要があるからイラクに行くんだ」と述べています。日米同盟というものは、そういうものなのかと、日々、国民が体験しているのがいまの時代です。 私が注目しているのは、去年から毎日新聞が、正月に、大規模なアンケートを発表しているんです。去年1月3日、今年1月4日に出しました。安保条約について、どうすべきかという質問にたいして、将来とも維持すべきだが2年連続で37%、逆に安保条約をなくして中立の日本にしよう、あるいは日米友好条約にかえようが、53%、54%、やはりイラク反戦闘争で多くの方が戦争に反対して立ち上がった。イラク戦争に突入したときに小泉さんが「日米同盟があるから支持する」、そういうことに胸を痛めて、日米同盟をなんとかしなければ、と思われている方がいる。2年連続で過半数に達しています。これには大変大きな意味があると思います。 いろいろな角度から、私たちのたたかいが前進して、国民の支持を得て進んでいくという、大変大きな条件があるんだと、そのことに大きな確信をもって、矢臼別におけるたたかいを進めていきたいと、私もその一員としてがんばりたいという決意を述べまして、私のお話にさせていただきます。ありがとうございました。 |